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12件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2002-10-30 第155回国会 衆議院 農林水産委員会 第2号

山形県知事と私この問題で懇談をしました、庄内米産地ですから。そうしたらば、輸入をしながら減反というのはおかしい、これはもう農業にかかわっているほとんどの方がそういうふうに言っておられます。  ミニマムアクセス米の削減、廃止についても前回質問をいたしまして、譲許表の米を大分類の穀類、麦や飼料なども加えたものに変えることは現行WTO協定上も可能だという答弁が食糧庁長官からありました。  

松本善明

2000-03-30 第147回国会 参議院 農林水産委員会 第7号

戦前庄内米市場の中で名声を博したけれども、それは実に余升の多さによってそういう状況になったんだよという話でありました。  きょうの岸先生の冒頭の質問で、検査の公正中立性の確保問題についての指摘がありました。大臣からは公正中立性に欠くものについての改善命令から業務停止も含む厳しい姿勢をもって臨むといった説明等々がございました。まあまあこれだったら何とかいけるかなという感じがいたしました。  

谷本巍

1997-11-14 第141回国会 参議院 行財政改革・税制等に関する特別委員会 第7号

大臣は湯野浜に疎開して庄内米を食べたはずです。しかも、文部大臣として学校給食の目的、その歴史について身にしみて感じておられる方であります。今まで国民の皆さんが去年も削ろうとしたのをとどめたんですよね。その大臣が真っ先になって今回から三年間かけて学校給食助成金を廃止すると、こうなったら島村大臣は大手を振って鶴岡なんかには来られない。  これは廃止しないように答弁してください。

須藤美也子

1997-11-14 第141回国会 参議院 行財政改革・税制等に関する特別委員会 第7号

○国務大臣島村宜伸君) なるほど庄内米をかみしめかみしめ大変甘い甘さを感じるまでにいただきましたが、たまたま私の疎開仲間落語家で有名な橘家圓蔵、月の家圓鏡と言った方がわかりやすいかもしれませんが、師匠がいます。彼と今でも言うんです。当時の私たちの夢は、一年に一遍でいいから腹いっぱい白い御飯が食べられたらいいねと。もう一つは、お砂糖のいっぱい入ったお汁粉を一年で一遍でいいから食べたいものだと。

島村宜伸

1984-04-24 第101回国会 衆議院 農林水産委員会 第11号

殊に、私の参りました庄内の北といいますのは、庄内米でも非常にいい米がとれるところ、日本でも有数な米作地だと私は思っておりますが、ここの農協営農課長がせいぜい五年くらい先しか考えていないのですね。ですから、この庄内農協営農責任者土つくりについて一体どこまで考えているか、はっきり申し上げますと考えていないのですね。  ただ、個人としてはいると私は思います。

川田信一郎

1980-07-31 第92回国会 衆議院 農林水産委員会 第2号

消費拡大において宮城のササニシキや庄内米等は、東京に来れば、私も聞いてみますと大変に好評でございまして、われわれがたまに持っていって差し上げますと、これがうまいので非常にいい、こういうのが東京で食えれば、議員食堂なんかでも食えれば非常にいいことだと私はいつも言われるわけでありますから、その奨励をしていく、保護をしていくと思うのでありますが、しかしながら、反面何かうまくない米がまた自主流通の中のルート

武田一夫

1955-07-07 第22回国会 衆議院 農林水産委員会 第36号

三、今回の災害地域日本でも有数の庄内米あるいは秋田米産地であり、米作一本に生きる農家でありますので、これが被災農地の代作として、ソバ、大豆等の種子の確保につきあっせんをするとともに購入費助成をされたいこと。  四、水害の後には当然予想されるいもち等の病虫害の防除について薬剤の購入費助成をされたいこと。五、災害補助事業分についての農林漁業金融公庫融資のワクを確保されたいこと。

小枝一雄

1952-06-11 第13回国会 衆議院 運輸委員会 第43号

次に産業方面から申し上げますと、庄内地方は御承知のように、山林資源あるいは水産資源、特に有名な庄内米こうした産業に非常に恵まれておるのでありまして、庄内資源山形方面資源との物資の交流をはかるという点から見ましても、この路線の重要性というものは、きわめて高く評価せられるべきであると思います。

圖司安正

1947-12-07 第1回国会 衆議院 農林委員会 第60号

圖司委員 本請願の趣旨は、全國に有名な庄内米産地である庄内平野の中心をなしている酒田市に、肥料工場を設置してもらいたいということで、肥料工場というだけではつきりわかりませんが、たしか硫安工場であろうと思うのであります。硫安工場でありましたならば、なかなか容易でないことは地元としてはわかりきつておることです。

圖司安正

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